関節の痛みで苦しむ方が本当に多くなりました。

その理由は明治時代と比較すると平均寿命が2倍になったからです。

最初に統計が始まった明治時代の平均寿命は40歳でした。 ちなみにそれまでの世界の平均寿命は30歳でしたが現在では72歳です。

我が国の男性の平均寿命が初めて50歳に到達したのが、昭和22年(1947年、太平洋戦争が終わった2年後です)

平均寿命が、高齢者の基準である65歳に到達したのが昭和36年(1961年)。

この年から国民健康保険が開始され、自己負担額は5割でした。

現在の平均寿命は、男性が81歳女性は87歳になりました。

平均寿命が約3倍になった今、関節の痛みに対する考え方も大きく変わりました。

私の臨床経験は今年で45年目になりました。

25年前までは、カイロプラクティックの最も効果的な技術であるモーションパルペーション&マニュピュレーション(動的触診法と手技療法)を仕事の中心にしていました。

茨城県の牛久市で開業してから今年で39年目になります。

開業当時の牛久市の人口はようやく4万に到達し牛久町から牛久市になったところでした。

ちなみに当時の歯科医院は4件でした。

それが現在では42件になりました。

若さを保てるのは眼医者と歯医者のおかげと言われます。

人間の体で最も早く老化するのが、目と歯と椎間板です。

遺伝子のスイッチが入ると軟骨が石灰化してしまい正座ができなくなります。

もちろん股関節も硬くなって、日本式のあいさつ(床でお辞儀する)や礼拝のポーズもできなくなるのです。

小津安二郎監督の映画を見てみると,昭和30年当時の生活はほとんどの家庭で床に座って食事をしていたことがわかります。

男はつらいよでおなじみの午前様が若かった頃の時代です。

指先の第一関節が変形するへバーデン結節や外反母趾は骨が出っ張っているのがよくわかります。

このような骨のでっぱりのことを骨棘といいます。

このような骨棘は主に体重がかかる背骨や骨盤から始まりやがて股関節、ひざ関節、足関節の痛みの原因になると考えられています。

一方で骨棘があるのにもかかわらず、まったく痛みを感じない方も珍しくないのです。

これは骨棘が神経の通り道をふさいでいない限り何ら問題はないことを示しているのです。

私は関節の調整を次のようなたとえ話で説明しています。

「網戸がレールから外れて滑っているようなケースが大半なのです」

「その中でいったん網戸を持ち上げて元のレールに収めるのが関節ニュートラルの調整なのです」

どうしても網戸が壊れてしまったケースは、人工関節置換術になるのです。

10年ほど前から、人工関節の性能は飛躍的に向上しました。

したがって現在ではそれまでやっていたスポーツに復帰することも可能になったのです。

手術の進歩は目覚ましく、卓越した技術がなくても手術が自動化することも確実となりました。

身近な例で例えると、稲作も高度に機械化されています。

ほんの10年前までは、機械の操作も卓越した技術が必要不可欠でした。

ところが現在では信じられないほど生産性が向上したのです。

人体には約206個の骨から構成される約200個の関節が存在します。

その一つ一つの関節に8方向に1ミリずれて元に戻る免震構造システムに勝るとも劣らない機能があるのです。

この機能は例えると巨大な津波の被害を防ぐ防潮堤のようなものです。

つまり非常事態にならない限り、そのありがたみはわからないのです。

関節の痛みを予防するためには、常に保守点検が必要なのです。

その作業を怠ると、やがて変形性関節炎は重症化し最悪の場合生活に支障が起きることになるのです。それを未然に防ぐ事が何より大切なことは言うまでもありません。